(2024年12月8日の週報より) |
ヨセフの決断~インマヌエルの恵みに生きる~ マタイによる福音書1章22~25節 婚約者であるマリアが身ごもっていることを知ったヨセフが離縁することを決心する中、天使が夢に現れ、「恐れずマリアを迎え入れなさい」と語ります。 |
応答讃美歌:新生154番「生けるものすべて」 |
(2024年12月1日の週報より) |
ヨセフの決断~クリスマスの危機~ マタイによる福音書1章18~21節 イエス・キリストの誕生というクリスマス物語において、重要な役割を担う人物でありながら、一言も言葉を発しない人がいます。それが今日の中心人物であるヨセフです。クリスマスは神の介入によって起こった出来事ですが、そこに人の決断も大きく関わっています。ヨセフの決断次第で、クリスマスはなかったかもしれないのです。 |
応答讃美歌:新生153番「エッサイの根より生い出でたる」 |
(2024年11月24日の週報より) |
祝福はここから ヨハネによる福音書6章1~13節 今日から世界バプテスト祈祷週間が始まります。バプテストの群れが心を合わせて、世界各地で労する主の働き人、苦闘する友を覚えて祈り、真心から捧げるこの季節は、私たちが初心に帰る時でもあります。日常に忙殺され閉じてしまった心の窓を大きく開く時、それが世界バプテスト祈祷週間です。「あなたの隣人は誰か?神の平和を作り出す者は誰か?」、静まって主イエスの問いかけに耳を傾けましょう。 |
応答讃美歌:新生362番「主のみ名を伝えん ハレルヤ」 |
(2024年11月17日の週報より) |
希望の対話-福音を語る神と戸惑いを祈る私- エレミヤ書32章6~9節、24~25節 神はバビロン捕囚直前の状況にあって、「アナトトの畑を買うように」とエレミヤに命じます。「アナトト」はエルサレムの北に位置する場所で、進軍する軍隊の通り道でした。踏みにじられていく土地を購入するようにとの命令は、エレミヤを戸惑わせます。その命令には、捕囚後の未来を約束する福音が宿っています(32:15)。エレミヤもそのことは承知していますし、それを可能にする神の力を信じています(32:17)。それでもなお、エレミヤは戸惑うのです(32:25)。 |
応答讃美歌:新生550番「ひとたびは死にし身も」 |
(2024年11月10日の週報より) |
あなたに目を注ぐ神 エレミヤ書31章33~34節 福音書には、イエスさまが「子ども」を祝福されたことが記されています。イエスさまの時代は典型的な男性中心社会であり、女性や子どもは軽視されていました。この当時の子どもは無視されやすく、傷つきやすい存在であり、「小さくされた者」を象徴する存在だったと言えるでしょう。イエスさまの子どもたちへの祝福は、「無視されていい存在などない」という、すべての命へ向けられた神のメッセージを象徴しています。 |
応答讃美歌:新生16番「み栄えあれ 愛の神」 |
(2024年11月3日の週報より) |
傷の癒しについて-再構築を望む神- エレミヤ書30章17節 エレミヤ書の30章から33章までを「慰めの書」と呼びます。厳しい言葉が語られるエレミヤ書の中で、希望や慰めの言葉が語られる箇所だからです。そうであるからこそ、厳しい言葉を読み飛ばしてこの部分だけを読みたくなってしまいますが、そうしてしまうと「慰めの書」の意味自体も失われてしまうでしょう。エレミヤ書の厳しい言葉と慰めの言葉は一体となって神の愛を語ります。 |
応答讃美歌:新生431番「いつくしみ深き」 |
(2024年10月27日の週報より) |
死から命へ マルコによる福音書5章1~20節 イエスがゲラサ人の地に着かれた時、真っ先に出迎えたのは悪霊に憑りつかれた男であった。この人は墓場に住み、昼も夜も叫び続け、石で自分の体を傷つけていた。悪霊に支配され凶暴なふるまいを続ける彼に、家族や土地の人は手を焼いていた。彼は孤立し、絶望と死の世界である墓場にしか居場所を見出せなかった。イエスはこの人を憐れみ、まっすぐに向き合われた。「汚れた霊、この人から出ていけ」とイエスが命じられると、悪霊どもは抵抗を示しながらも、イエスが神の子であり、その御力には抗えないことを知っていたので、豚の群れに乗り移ることを願い出、許される。乗り移られた豚は、いっせいに湖になだれ込み溺れ死んだ。 |
応答讃美歌:新生384番「語り伝えよ 神のみ言葉」 |
(2024年10月20日の週報より) |
その言葉は誰のため? エレミヤ書10章17~19節、23~24節 エレミヤは預言者でありながら、同時にイスラエルの民の一員でした。つまり、エレミヤは神の言葉の語り手であり、同時に聞き手でもあったのです。神は、エレミヤを通して厳しい懲らしめの言葉をイスラエルの人々に語ります。エレミヤは、その言葉を自分の事柄として引き受けます。だからこそ、エレミヤ自身が「傷を負う」(10:19)のです。 |
応答讃美歌:新生536番「燃え立つ言葉も」 |
(2024年10月13日の週報より) |
偽りの平和から真実な平和へ エレミヤ書6章13~17節 エレミヤが預言者として活動し始めたとき、北イスラエルは既にアッシリア帝国によって滅亡していました。南ユダも厳しい社会情勢の中にありましたが、祭司たちが語る「平和」に人々は安心を抱いていたようです。その背景には、アッシリアが衰退したことや、首都エルサレムには神殿があるから大丈夫という勝手な思い込みがあります。14節の言葉は、神に聞くのではなく民衆を喜ばせることに終始していた祭司たちの宗教的堕落の姿が描かれています。しかし実際には、アッシリアに代わって北(バビロニア)が世界を席巻する時代がすぐそこに迫っていました。 |
応答讃美歌:新生330番「み使いの歌はひびけり」 |
(2024年10月6日の週報より) |
“狭間”に響く神の言葉 エレミヤ書1章1~10節 エレミヤは「涙の預言者」と呼ばれます。人々はエレミヤを拒否し、笑いものにします(20:7)。それは、エレミヤの語る言葉が人々にとって煩わしく、愚かに思えたからでした。しかし、人々が退けたエレミヤの言葉こそ、人々に命を与える神の言葉であったのです。神の言葉は、いつも私たちを肯定して安心させてくれる言葉ではなく、時には厳しく、受け入れがたいものになることがあると聖書は示しています。 |
応答讃美歌:新生131番「イエスのみことばは」 |