(2025年8月31日の週報より) |
時を献げる - 慌ただしい日々に安息を - ルカによる福音書10章38~42節 礼拝とはどのような「時」でしょうか。それは、〔他の時とは区別された特別な時であり、神と言葉を交わす時〕だと言えるでしょう。それは「普段の生活」を一時中断し、神との交わりのために時を献げることを意味します。その特別な時の中で〔神と共に生きる自分〕を取り戻して、また新しい気持ちで「普段の生活」へと向かっていくのです。 |
応答讃美歌:新生140番「空の鳥を見よと」 |
(2025年8月24日の週報より) |
巡り巡って、またここへ。‐過ちと赦しの物語‐ 申命記30章15~20節 申命記29~30章は「モーセの第三の説教」と呼ばれます。基本的な内容はそれまでと同じで、〔あなたの幸いのために、主なる神に仕え、その戒めを守れ〕というものです。そして、その戒めを守らないならば「呪い」が臨むという、恐ろしいことも語られます。「呪い」については、これ以前の箇所で詳しく語られていますが、その中で注目すべきは「エジプトに送り返される」(28章68節)だと思います。つまり「呪い」とは〔エジプトの奴隷生活=非人間的な生活の再来〕だと理解することができます。そして、その苦しみの歴史を繰り返さないようにと願って〔新しい道を選べ〕と語る、それが申命記の中心的なメッセージです。 |
応答讃美歌:新生521番「キリストには替えられません」 |
(2025年8月17日の週報より) |
愛に生きる道‐あなたが幸いを得るために‐ 申命記10章12~20節 申命記10章は、神の求めを語ります。神が求めているのは、「わたしが今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸いを得ること」(13節)だと言います。その「主の戒め」の内容として語られるのが、「寄留者を愛しなさい」(19節)という言葉です。 |
応答讃美歌:新生342番「教会世にあり」 |
(2025年8月10日の週報より) |
神の願いへ立ち帰れ エゼキエル書18章30~32節 イエスさまは「平和を実現する人々は、幸いである」(マタイ5:9)と語ります。しかし、その言葉に従うべきキリスト者たちが、これまでの歴史の中で幾度となく平和を壊してきました。〔宗教があるから戦争がなくならない〕と言われるような状況をつくりだしてしまったところに、私たちの背きの罪があります。 |
応答讃美歌:新生326番「ガリラヤの風」 |
(2025年8月3日の週報より) |
神は今、あなたに語りかける 申命記5章1~6節 出エジプトから40年、モーセは再び「十戒」を人々に語ります。エジプトの苦役を知っている世代がだんだんと少なくなり、新しい世代が共同体の中心になりつつある中で、十戒を継承できるかどうか、それがこの時の課題でした。 |
応答讃美歌:新生300番「罪ゆるされしこの身をば」 |
(2025年7月27日の週報より) |
呪いと祝福 民数記23章1~30節 21世紀の現代でも「丑の刻参りセット」(藁人形・五寸釘・ハンマー等)がインターネットで販売されています。[誰かに呪われているかもしれない]と考えると、気持ちいいものではありません。日頃「呪い」とは無縁な生活をしていても、災いが続くと、[供養が足りないから呪われている]などの声を無視することができずに財産をだまし取られてしまうという被害もよく聞くことです。「呪い」という束縛から解放されることが平安へとつながっていくと言えるでしょう。「呪い」は人を苦しめることはあっても、幸せにすることはありません。 |
応答讃美歌:新生301番「いかなる恵みぞ」 |
(2025年7月20日の週報より) |
神にひれ伏すことの意味-神の招きに応える者へ- 出エジプト記4章27~31節 「礼拝とは何か」と礼拝の本質について考える時、重要な要素がいくつか見えてきます。その中の一つに、「神にひれ伏すこと」があります。 |
応答讃美歌:新生464番「主が来られて呼んでおられる」 |
(2025年7月13日の週報より) |
恵みが見えなくなった時 民数記11章1~15節 民数記は、イスラエルの民が「荒れ野」にいたときの民やモーセの様子(信仰)が記されている書巻です。それは、約束の地を目指して神と共に歩む私たち(教会)の姿を表すものでもあります。 |
応答讃美歌:新生552番「わたしが悩むときも」 |
(2025年7月6日の週報より) |
時に旅立ち、時にとどまり~主と共に歩む私たち~ 民数記9章15節~23節 ケンブリッジ大学のバーバラ・サハキアン教授の研究によると、「人は一日に2万~3.5万回もの意思決定をしている」とのことです。すごい数です。皆さんにとって一番大きな意思決定(決断)は何でしょうか。バプテスマを受ける決心などはとても大きな意思決定です。信仰に関することだけでなく、日常生活の様々なことで、毎日、数え切れないほどの決断をしているのは確かなことです。その選び取りが自分の感情という不安定なものでなく、しっかりとした拠り所があれば安心です。神の民が行動の指針にしていたものは何だったのでしょうか。 |
応答讃美歌:新生483番「主と共に歩む」 |
(2025年6月29日の週報より) |
神の愛が私たちの心に注がれている ローマの信徒への手紙5章1~11節 「最後まで諦めない。」素敵な言葉です。何事においても、最後まで諦めないことは、本当に大切なことです。でも、本当に最後まで諦めない方は神さまではないでしょうか。ヘブライ人への手紙の冒頭には、「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました」とあります。神さまは、罪に墜ちた人間のために、諦めることなく、救いに至る道を備えて下さったのです。そのためにご自身の御子を私たちに与え、御子の十字架上の死という身を切るような思いをしてまで私たちの罪を贖い、救いをもたらしてくださったのです。神さまは本当に、最後まで私たちに寄り添い、私たちを救うことを諦めない愛の方なのです。その私たちの実態は、「正しいものはいない。一人もいない」状態なのです。そのような私たちに対して、神さまは、信仰によって救われる道を備えて下さったのです。 |
応答讃美歌:新生495番「主よ み手もて」 |
(2025年6月22日の週報より) |
パウロの礼拝-神の前に生きること- ローマの信徒への手紙12章1節 今年度は「礼拝」を教会のテーマに据えています。そのことに則って、今日はローマ書12章から「礼拝とは生活の基盤である」ことに着目します。 |
応答讃美歌:新生626番「主はいのちを与えませり」 |