(2022年8月14日の週報より) |
Peacemakers マタイによる福音書 5章9節 77回目の「敗戦記念日」を前にした今日、「平和を実現する人々は、幸いである」との主イエスの説教から恵みに与ります。 |
応答賛美:新生讃美歌326番「ガリラヤの風」 |
(2022年8月7日の週報より) |
主にあって強められ エフェソの信徒への手紙6章10~20節 信仰を持つことによって、主から与えられる平安を体験しながら生きることができますが、同時に、信仰を持つことによって体験する[戦い]があることも事実です。パウロはこの手紙を書き終えるにあたって、「主の偉大な力によって強くなりなさい」と勧め、そのために必要なことを11節以降で展開しています。 |
応答賛美:新生讃美歌575番「栄えのみ神よ」 |
(2022年7月31日の週報より) |
悪い時代の中で神をほめ歌う人々 エフェソの信徒への手紙5章15~20節 「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい(5:19)」。この一節は、二つの方向性の事柄を一息に語っています。一つは「主に向かって歌う」という方向性で、もう一つは「語り合う」という方向性です。 |
応答賛美:新生讃美歌16番「み栄えあれ 愛の神」 |
(2022年7月24日の週報より) |
イエスから見えてくる“真理” エフェソの信徒への手紙4章17~24節 今日の箇所は、「真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません(24節)」と語り、そして「真理」はイエスの内にあると語ります。〈イエスから見えてくる「真理」に基づいた「清さ」とは何か〉、このことが今日の箇所のテーマだと言えるでしょう。 |
応答賛美:新生讃美歌205番「まぶねの中に」 |
(2022年7月17日の週報より) |
神の豊かさに目が開かれるように エフェソの信徒への手紙3章14~21節 今日の箇所はエフェソの教会へと向けられた「祈り」です。「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり…」。キリストの愛の途方もない巨大さを表現している文章です。キリストの愛は、私たちを全方位から包み込むようにして存在しているものだと言うことが出来ます。 |
応答賛美:新生讃美歌424番「祈りの山路を」 |
(2022年7月10日の週報より) |
“間”に立つキリストに目を注ぐ エフェソの信徒への手紙2章14~22節 キング牧師は語ります。「暴力を暴力で返すことは、暴力を増殖し、星のない夜の闇をさらに深めてしまう。闇に闇を追い払うことはできない。できるのは光のみ。憎しみに憎しみを消し去ることはできない。できるのは愛のみ」。 |
応答賛美:新生讃美歌481番「迷い多きこの世」 |
(2022年7月3日の週報より) |
二人の礼拝者 ルカによる福音書13章10~17節 安息日にイエスさまは群衆を教えるために、ある会堂に行かれます。その会堂の隅っこには自分の存在に自信を持てずにいるある女性がいました。その人は18年もの長い間ずっと病の霊に取り憑かれ、苦しんでいた人でした。一度も腰を伸ばしたことがない体は思うように歩くこともできず、大きな動きが少しあるだけで激痛が走る、このような恐ろしい病気を彼女は持っていたということです。このような状況の中にいる女性が果たしてどこかの共同体、今日の本文によると「会堂」にいくことが果たして日常的だったでしょうか。おそらく、他者の一人に会うことも、もっと言えば自分の家族にも会うことすらも難しかったと思われます。そのような彼女が会堂に来たのです。その中で、会堂に向かう彼女の足を止めようとしたあらゆる妨害あっただろうと思われます。しかし、彼女は「来た」のです。この箇所でわかることは、この女性は人に会うために会堂に来たのではなく、「神さま」に会うために会堂に来たということです。ここに彼女の礼拝の姿が見られます。 |
応答賛美:新生讃美歌357番「この日は主が造られた」 |
(2022年6月26日の週報より) |
つながり合う信仰共同体 コロサイの信徒への手紙4章2~6節 この箇所にある五つの命令形動詞に着目したいと思います。 |
応答賛美:新生讃美歌424番「祈りの山路を」 |